いちばん有名な「Hyvä veli」の例はソ連時代60年代の話。当時のフィンランドの大統領Urho Kekkonenは、大統領選が近づき再当選したかったものの、Kekkonenの相手の方が勝機がありそうな状況でした。
フィンランドはロシアとYYA契約(ソ連とフィンランドの間の安全保障条約みたいなもので「友情、協力、相互援助」の合意)を結んでおり、ソ連の敵国を手伝ってはいけないという状況でした。当時の西ドイツはソ連の敵であり、その当時バルト海で西ドイツの軍隊活動が急に活発化していました。
Kekkonenがハワイに行っていたときに、ソ連から急にモスクワのフィンランド大使にフィンランドに向けたメッセージが届きます。その内容は、「西ドイツの軍隊活動についてフィンランドの軍隊と話がしたい」というもの。フィンランドとしては中立の立場をとりたいために軍隊をこのことに巻き込みたくなく、Kekkonenは軍隊と相談せずにどうにかできないかとソ連に尋ねます。それに対してソ連は「フィンランドの今の外務政治家たち(大統領であるKekkonenと、Kekkonen側であった外務大臣)を信頼している」などというやり取りがあったそう。
結局皆がソ連を恐れ、Kekkonenの相手の大統領候補が途中で大統領戦を降りたためにKekkonenが当選。
その後、Kekkonenはソ連の人に会った時に「メッセージは私のためになりました」、「計画はうまくいっていました」などとあいまいなことを言っていたそう。
Kekkonenは、ビールや家具の絵柄にもなったりと、ある意味現代ではキャラクター化されてもいますが、結局Kekkonenは32年間も大統領でおり、今でもフィンランドでは「彼のせいでソ連とうまくいった」という声も、「彼は最悪の独裁政治家」という声も聴かれます。ちなみにこれを受けて今のフィンランドでは12年(2回選出)より長い間大統領の座に居座ることができなくなっています。
Kekkonenはソ連のトップの人たちと仲が良く、一緒にサウナに行ったりスキーに行ったりしていた=Hyvä veliだったため、説としては「Kekkonenがソ連にメッセージを送るよう頼んだ」という説が今でも一番信じられています。
(abcxyz)
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